建設業の工事に携わる者として思い出に残る現場は何でしょうか?
きれいに出来上がった現場より、自分が初めて手掛けた現場又は苦労した現場ではないでしょうか。
私の場合は、初めて手掛けた現場が一番の思い出となっています。
入社半年後の9月、掛川市発注の農地造成工事を受注しました。先輩方が複数の現場を掛け持ちしており管理する職員がおらず、私に白羽の矢が立ち現場を管理することになりました。
小さな茶園が点在する山林110,000㎡の農地造成工事、工事金額9千万円、工期9ヶ月で工事内容は農地面積75,000㎡ 切土量165,000m3 法面工14,300㎡ 道路延長2,200m 水路延長1,400m 県道横断工2ヶ所 ほか。
測量機械はティルティングレベル(覗きながら気泡を水平に合わせる)バーニア付トランシットと巻尺でした。
計算機は当時四則計算の電卓は1万円以上でとても買えず、野帳に筆算で計算 関数電卓はみたことはありませんでした。
カーブの設置や測量では、厚手の対数表を片手に対数・関数を使いlog/sin/cos/tan。また、図面と現場が合わず道路の先が空中に、当時測量の知識が乏しかったので苦肉の策で自動車のハンドルをカーブに合わせ固定し前輪の軌跡を何度も描きながらカーブを作りました。測量会社による完成図には、しっかりとカーブ表が書かれていました。
管理は図面に赤書き程度の出来形と写真・品質は生コンくらいでした。
毎日が測量と丁張掛けと写真撮影に明け暮れ、翌日の測量の為の計算は自宅へ図面を持ち帰り対数表やT定規と三角定規を使い図面に描きながら「どうしたらうまく出来るかな?」と知恵を出しました。
施工での思い出は土工業者が忙しくなり土を移動しないと構造物ができない押しブル総重量55tに乗り移動。県道横断のBOX-C据付では、レッカーのワイヤーが6,000Vの電線に接触、停止しようと合図を送りながらBOX-Cに触れていた私は感電、全身に電気が走り痙攣で目の前が真っ白に一瞬で飛ばされましたが長靴のおかげで助かりました。また、当時農地造成工事が各地で施工されており、二次製品が間に合わず捕りあいに、早朝4tユニック車で工場に何台も車が待っている中、湯気の出ている製品8tを積み運びました。(積載重量の2倍を積んでも大丈夫なこと理解)
休日は年始の3日間くらいしかありませんでした。別の職業に就いた高校の友人は青春を謳歌していました。
「自分の青春はこれでいいのかな」と何度も自問自答し、現場の枝ぶりの良い松を眺め「あれにぶら下がれば楽になるのにな~」と逃げの気持ちになったりもしながら地元の方や協力会社のお陰で何とか完成にこぎつけました。
完成検査前夜は「あそこの出来が悪かった」「ここの納まりが悪かった」と思い出し、心配で眠れませんでした。
検査官から合格の声を聞いた時は涙が出るほど(出ていたのかな)うれしく、心の中で何度も万歳をしていました。
今になって思えば入社半年の半人前に現場を任せた会社も大したものだなと感心するやら呆れるやらです。
当時規制が少なく、休日に仕事をしていても近所の方から「ご苦労様」と言って励まして頂いた時代が懐かしいです!
図面を見て現場に行き、その風景に完成した構造物が想像できれば50%、そこから作業工程を遡りながら作業を想像できれば70%、それを基に必要な書類・知識・人材・材料・安全対策等が想像できれば90%完成です。後の10%は完成に向け現場をどう進め導けるかは監督の想いが作業員に伝わるかどうかではないかと思います。
工事現場は大小問わず条件が違い、何ひとつ同じものはありませし、そこで働く人間も一人一人違います。その中でお客様が喜び、協力会社も川島組も「良かったな」と思える仕事ができるためには、他人を怒っても甘やかしてもダメ、最先端の技術があっても道具でしかない。心配してもダメ。どうすればできるか知恵を出す事がカギとなります。
先ず自分ができることをやり解らないところは協力を得て、工事関係者がお互いを尊重し協力をすることで安全に出来栄えの良い構造物ができると確信しています。
仕事は与えられるうちは楽しくありません。自らが動き造っていく仕事が楽しいですね。
時代は変わり規制が多く書類に追われる中、若者が頑張っている姿はカッコよく嬉しいですね!
建設業『ものづくり』に万歳である。